雪組大劇場公演『f f f -フォルティッシッシモ-』『シルクロード~盗賊と宝石~』、マイ楽を終えました。
東京公演見られるかどうかわからないし(いまのところチケット持ってないし)、それも覚悟しての遠征だったので、いちおう悔いはない。
ただ、この1週間のうちでもどんどんお芝居が変化していて、東京にいったらどんなにか進化するのだろうと思ったら、それを見たい。この目で見たい。
感想をまとめていたのだけど、観れば観るほどいろんな思いが溢れてきてちっともまとまらないので、今日感じたことから遡ってアップしていこうと思う。
なので、ネタバレ&個人的な見解が多いかと思われます。
まだ観てない人には、ぜひ前知識なしで観てほしいので、あんまり私個人の意見など頭に入れないでほしいけれども。
一度しか観ないという方には、ぜひ知っておいてほしいこともあったりするし、悩む。
……あなたの判断にお任せします……。
望海風斗と真彩希帆というトップコンビは、ひかりふる路を目指して歓喜の歌をうたってはじまり、生きるつらさを超えて歓喜の歌をうたいひかりの路を歩いて去っていくのだね。
先生方の用意してくれた美しい花道。
まずは『f f f』。
あのね、観劇後にポスター見たら「ええっ、ああああああああああー!」ってなるよ。
上田久美子先生はやっぱり天才だと思う。狂気の天才。
歴史上のベートーヴェンがいかなる存在だったか、ナポレオンがいかに先の時代をいっていたか、そんな客観的なすごさを感じると同時に、彼らが人間として生きることにいかに純粋な感情を持っていたのか、そしてどんなことを考えて生きていたのかが手に取るようにわかる作品だった。
ベートーヴェンもナポレオンもゲーテも、たしかにそこで生きていた。
初見でちょっとわかりづらかったのが、冒頭のケルブ【智天使】(一樹千尋さん)とケルビム(天使ちゃんたち)が言う「音楽」について。
神が人間に与えた美しい音が、バッハによって教会音楽となり、モーツァルトによって貴族のものとなった(貴族のものにしてしまった)というくだり。ちゃんとセリフでそう言ってるんだけど、初めて聞くとすんなり入ってこなかったので。
よってバッハはすぐに天国へ入れてもらえたけれど、モーツァルトたちは天国の扉の前で審判を待っている、という場面。神のものであった音(音楽)が、「人間」のものになってゆく過程がいいのかどうかは、モーツァルトたちだけでは判断できないので、その次の世代の音楽家の動きを見て、天国の扉をあけるべきかどうかまとめて判断しよう、と言っているのである。
最後にはちゃんとこの話も回収されるので、2回目の観劇では「そういうことか」ってわかるのだけど、初見だとつい冒頭のこと忘れそうになったので書いておく。
この「人間」というのは、全編を通じてのテーマである。
ベートーヴェンは、貴族のものだった音楽を「人間」のものにしようとした。そしてその音楽によって人間を「幸福」にしようとした。
ベートーヴェンが音楽によって人間を幸福にしようとしたことと、ナポレオンが戦いによって人間を(結果的に)幸福に導こうとしたこと、これにゲーテの思想などが絡んで物語の主軸となっている。
歴史には全然詳しくないので、私がこの作品から受け取った考えでしかないけれど。
18世紀終わりのイギリスでは産業革命が起こり、フランスでは革命が起こり、世界は大きく変わってゆく。それまで「食べていく」ことが生きる意味のおおよそだった人間(庶民)が、「食べていく」以外のことに時間を使うようになり、それが思想の発達へとつながったのではないかと。
そこで人間が人間であることの意味、生きる意味を考えるようになった。
劇中劇として描かれるゲーテの『若きウェルテルの悩み』からは、「自分の望む時に現世という牢獄を去ることが出来るという自由感情を持っている」という部分が朗読される。
生きることは「不幸」で、人間が誰もが唯一持っている「自由」が「死ぬこと」だと。
ベートーヴェンにとっての「不幸」の最たるものが「難聴」である。
さてこの「難聴」は、真彩ちゃん演じる「謎の女」が担っている。歪な楽器の音色や「謎の女」の声が、耳鳴りのようにベートーヴェンの頭に響く。それにあわせて景色が歪む(本当に歪むんだよ。なのでオペラおろして舞台全体見てね)。
「難聴」だと思われていた「謎の女」が抱えているのは、それだけではないことが次第に明らかになる。それを辿ってゆくのがこの作品の醍醐味である。
で、盛大なネタバレになるのだけど、ウィキペディアにこんなことが書かれていて。
交響曲第5番 (ベートーヴェン) - Wikipedia
本交響曲は、日本では『運命』または『運命交響曲』という名称で知られているが、これは通称であってベートーヴェン自身による正式な命名ではない。 この通称は、ベートーヴェンの弟子アントン・シンドラーの「冒頭の4つの音は何を示すのか」という質問に対し「このように運命は扉をたたく」とベートーヴェンが答えた(後述)ことに由来するとされる。しかし、シンドラーはベートーヴェンの「会話帳」の内容を改竄していたことが明らかになっており、信憑性に問題がある。
作品の中で、「謎の女」がノック音に関わる場面が2つほどあるのだけど、そのノックが4回なんだよね。(これ書いたあと友人が、ノックもう1回と机を叩く回数も4回だから合計4回出てくるよ、と教えてくれました)
まだまだ感想というところまで進んでいないけれどひとまずアップ。これ、感想書き終わる日がくるんだろうか。
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