感想(1)と書くのは、(2)を書く気があるからなのです、一応。感想はこれだけじゃないんだよ!ってニュアンスを汲み取っていただければ…。

さて、花組大劇場公演『MESSIAH』『BEAUTIFUL GARDEN−百花繚乱−』が始まりだいぶ経ちました。見るたびにいろいろ考えさせられるお芝居。そしていろいろ考えてしまうショーでございます。

なんか、感想というよりさらにお勉強って感じになってしもた。よ。




『MESSIAH』を見てから改めてお勉強してみる

「花組で天草四郎やるってよ」って決まったときから、島原の乱についてのお勉強が始まったわけですが。

いろいろ資料を読んだり見たりすると、なかなかに凄惨な戦いだったことがわかります。

まず、そもそもキリシタン大名が治め領民に信者も多かった地が、家康のキリシタン弾圧により領内でも厳しい弾圧が行われるようになります。で、領民も改宗させられる。でもひっそりと信仰を続けている、それが隠れキリシタンというわけです。

1616年、奈良の大和五条からきた松倉重政(←鳳月杏さん演じる勝家の父)が島原を治めるようになると、キリシタンを弾圧するばかりか、幕府に忠誠を示そうとして財政も逼迫していきました。

息子・勝家(鳳月杏さん)の治める時代になると、飢饉や天変地異までも起こり、さらに領民たちは苦しくなっていきました。

第6話:有馬氏の失脚、キリシタン弾圧 | 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産をめぐる「いま甦る、キリシタン史の光と影」
1620年、日本へ潜入しようとしていた宣教師2名が一隻の朱印船に乗船していたことが発覚します。幕府のキリシタンに対する不信感はさらに高まり、大弾圧がはじまりました。松倉重政もこれに呼応し、領内でのキリシタン弾圧をはじめます。しかし徳川家光にキリシタンへの対応が手緩いと叱責されたことから、重政の弾圧はいよいよ過激になり、棄教しない領民の手指を切り落としたり焼き印を押すなど、残虐な拷問を行うようになりました。オランダ商館長の記録には、重政がキリシタンや年貢を納められない農民に対し、雲仙地獄で熱湯を使って拷問や処刑を行ったことが記されています。
(中略)
そして跡を継いだ息子の松倉勝家も同様でしたがさらに不幸なことに、飢饉や天変地異までもが島原半島を襲います。かつて有馬氏の家臣だった帰農武士たちの中にはキリシタンに立ち帰る者も現れ、蜂起の機会をうかがいはじめるのです。

松倉勝家 - Wikipedia
勝家は年貢を納められない農民や、村の責任者である庄屋から、妻や娘を人質に取るようになる。前述のクーケバッケルや島原の乱の記録を残した長崎のポルトガル人ドアルテ・コレアは、人質の若い娘や子供に藁蓑を着せて火をつけ、もがきながら焼死する姿を「蓑踊り」と呼んでいたという記録を残している。

島原の乱はこんな背景のもと、起こった一揆でした。

島原の乱と天草四郎~ポルトガルの支援を待った70日に及ぶ原城籠城戦 -戦国武将1000記事
小西行長・佐々成政・加藤忠広の改易により大量に発生していた浪人や、旧有馬家の家臣らが帰農していたのですが、島原城の新築、江戸城改築の普請、また圧政や重税に苦しみ耐えかねて、領民(百姓)らと蜂起したものです。 天草はキリシタン大名・小西行長、島原は同じくキリシタン大名の有馬晴信の領地だったこともあり、弾圧を受けていたキリシタン(切支丹)も、この一揆計画に加わります。

島原の乱と天草四郎~ポルトガルの支援を待った70日に及ぶ原城籠城戦 -戦国武将1000記事
援軍の期待ができない一揆勢は、有明海を渡って島原半島の廃城・原城に集結し篭城しました。 正確な数は不明ですが、一般的には37000人とされています。 一揆勢は原城を修復し、藩の蔵から奪った武器弾薬、食料を運び込み、討伐の攻撃に備えたと言い、鉄砲は2千丁あったとされます。

グロテスクすぎず、小気味好くまとまったお芝居

実際の島原の乱は、籠城した3万7千の一揆軍が兵糧攻めにあい、全員が首を斬られて死ぬという、想像を絶する終わりを迎えました。

(一説には、1/3ほどの民は投降したとも言われていますが…)

この乱の結末といい、初日を迎えるまではいったいどんな悲惨な物語になるのかちょっと恐ろしかった。

しかもポスターはこれ。


天草四郎(明日海りおさん)、カッコイイけどめちゃ戦いそう。そこそこ強そう。それにめちゃカリスマ感ありそう。

血みどろのクライマックスを覚悟していました。

でも、実際初日が開いてみたら、友達とも話していたのだけれど、全然こんな感じの人じゃなくて。いろいろ宝塚らしいファンタジーも加わって、だいぶ生々しさが中和されていました。

むしろ天草の島民に迎え入れられてからの四郎は、明るく熱い青年でした。このポスターみたいな顔をしているのは、物語の冒頭、海賊の時だけ。

史実では天草の家に生まれたとか、養子として迎えられたとかいろんな説があるようですが、宝塚版の天草四郎は海賊(倭寇)。ある日、夜叉王丸(のちの四郎)が乗る船が嵐に飲み込まれ、天草に流れ着いた、という設定です。夜叉王丸の口ぶりからすると、日本を出て船であちこち渡ってから日本に戻る途中なので、年齢も少し上に設定されているようです。

流れ着いた天草の地で、益田甚兵衛(一樹千尋さん)に引き取られ、「四郎」と名付けられました。

もちろん、松倉による悪政はそれなりに描かれています。

が。

あまりにひどい部分はセリフのみで、人が斬られたりするのは最小限に抑えている感じ。

しかし、松倉勝家という男は完全に悪(悪というかね、これもまあ時代的にいろんな見方があると思うけど、この物語においては悪ですな)として描かれていて、観客は全員一致で「なにこの人やばいこわい!」ってなるわけです。

だからこそ、そこに立ち向かう天草四郎たちに感情移入しやすい。

また、一揆を鎮圧するために出向く幕府方も、勝家の悪政を知ることで、一揆勢に情けをかける。

これもまた、泣かせるポイントになっていると思います。


ちなみに一揆をおさめるために、幕府から派遣されたのがマイティ(水美舞斗さん)演じる松平信綱。

松平信綱 - Wikipedia
慶長元年(1596年)、徳川家康の家臣・大河内久綱の長男として武蔵国[2]で生まれる。父の久綱は伊奈忠次配下の代官として小室陣屋付近(埼玉県北足立郡伊奈町小室)に居住していたので、当地で生まれたとする説が有力である。生母・深井氏は白井長尾氏の末裔であり、母方の祖父・深井好秀は長尾景春の玄孫である。
マイティがね………本当にいいお芝居をしているのですよ……。

短いひとことひとことに、ものすごく情があるのですよ……。

一揆勢を攻める側にありながら、彼らに思いをよせているのがすごくわかるのですよ………。

本当に、このマイティのお芝居があるから泣き所が倍増してると言っていいと思います。

まとめ

というわけで、なんかすごくまとまりが悪い感想なのですが、私としては、このグロテスクな話をうまく宝塚的にまとめたなー、という感じでしょうか。

天草四郎が島民の真ん中で神について説く場面も納得がいったし、最後の「誰もが自由に愛しあえる未来を」(←ちょっと違うけどそんなようなこと)って、なんか『王家に捧ぐ歌』みたいなまとめも、まあ既視感はあるけれど泣けたし。

何より、一揆を鎮圧する側がより辛い思いをしていたかもしれないというのは、なんか新鮮な感動でした。

何度も観劇して、何度もみんなが死ぬのを見るのはやっぱり辛いけど、ただ辛いだけじゃないお芝居でよかったです。

中の人たち、1日に2回も死んだりするの大変だなぁ………。

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